この言葉について、しばしば見かける論争。
私の考えを整理してみたいと思います。

この言葉は使うべきではないのか。どうして論争が起こるのか。
定義を、chatGPTに聞いてみました

カサンドラ症候群は、自閉スペクトラム症(ASD)を持つパートナーや家族と関わる人が感じる心理的な苦痛や孤独感を指して使われることが多い概念です。この状況においては、以下のような特徴的な課題や感情が生じることがあります。
もう、ものすごくわかりやすい。
特にマーカー部分に注目してください↑。「心理的な苦痛や孤独感」の話です。

カサンドラ症候群の特徴
ASDのパートナーと共にいる非ASD者が、以下のような感覚を抱くことがよくあります:
- 孤独感:パートナーが感情的に「そばにいない」と感じる。
- 理解されない感覚:自分の思いや悩みを共有しても、相手から反応が薄い、または無関心に感じられる。
- ストレス:自分だけが関係性を維持しようと努力している感覚。
- 疲労感:相手の特性に対応するためにエネルギーを使い果たす。
- 自己否定:自分の感情やニーズが重要ではないと思い込み、自己価値が低下する。
これ、経験した人にはわかるのではないでしょうか。
そして、経験していない人にはよくわからないのではないでしょうか。

私はよく、
「一緒にいるのにひとりぼっち」と表現していました。
パートナーが殴ったから痛い。パートナーが不倫したから悲しい。
・・・そういう問題とは性質が全く異なるんですよね。

重要なポイント
ASDのパートナーに問題があるというより、特性の違いから生じるギャップが原因です。非ASD者が感じる孤独感やストレスを軽減するには、両者がそれぞれの特性を理解し、歩み寄ることが大切です。また、非ASD者自身も自分のケアを優先することが、長期的な関係維持の鍵となります。
パートナーの性質自体が、私が今まで思ってきた「常識」とかけ離れすぎている。
パートナーが別に悪くはないということを、カサンドラの皆さんはよくわかっています。
何が問題なのかを考えてみる
1.医学的な診断名ではない
医学的な用語ではありません。全員が「自称カサンドラ症候群」です。
これによってどんな問題が起こるかというと、
「誰もが“私はカサンドラ症候群です”と名乗れてしまう」という問題。
2.ASDの特性を否定的に捉えられる
例えば「妻が悲しんでいるときにASDの夫が適切な共感を示せない。」という場面で妻が傷ついた場合、
「ASDの共感性の表現」はまるで加害的であるかのように捉えられてしまいます。
片方が被害者になることで、もう片方は悪者になってしまいます。
3.定義があいまい
ASDとは関係のない夫婦間の悩みに対して使われることがあります。
こちらの書籍では、カサンドラという言葉の使われ方に問題があると私も感じました。
(書籍自体はとても面白かったです)
4.悲劇のヒロインっぽい名前
私が「自分はカサンドラ症候群だと思う」とSNSに投稿した時に、

「カサンドラという神話の王女の名前を名乗って、恥ずかしくないの?」
と言われたことがあります。
*

「私はプリンセス♡」
のように聞こえている方が、一部いるようです。
5.使い方の問題そして捉え方の問題
一方で、SNS上で起こっている問題の多くはこれだと思うのですが
プロフィールに「カサンドラ症候群」と記載した上で「今日夫が私を殴った」と投稿する。
それを見た人が「殴るのはASD特性とは無関係だよ」と怒る。
↑これ。よく見ます。
無関係な呟きまでASD由来への愚痴であるかのような誤解が起こるの恐れている人が怒っている。
これは個人的な見解ですが、
プロフィールに「シングルマザー」と記載した上で「子育てが大変」と投稿する。
それを見た人が「子育てはシングルかどうかに関わらずみんな大変だよ」と怒る。
・・・みたいなことはあまり起こらないし、
起こったとしても「シングルマザー関連の愚痴だと思われる恐れ」を感じる側に問題(心の傷)があると私は感じます。
つまり、
そう捉える側の人にとって、「カサンドラ症候群」という名札がなぜか強すぎるのだと思います。
私がこの言葉を差別的に感じない理由
今朝、こんな投稿をしました。
chatGPTの言うように、カサンドラ症候群とは本来かなり限定的な悩みに対して使われる言葉だと思います。
言語化が難しい悩みなので、周りには理解されない。
経験してみないとわからない。そんな、心理的な苦痛や孤独感に対して使われる言葉です。

私が味わっているこの虚無感、孤独感、、この感じは、なに?
原因不明の頭痛、体調不良、食欲不振、、、これらの正体は、なに?
夫も優しいし、モラハラでもない、、なのになんで私は寂しいの・・?
その悩みが夫のASDに由来するものだとしても、全ての悩みに使われる言葉ではありません。
「夫がルーティンを守らないと怒る→夫のASD由来の妻の悩みなので、私はカサンドラ」ではないです。
「怒られて悲しい」は周りから理解してもらえますよね。
「理不尽に怒る→怒られる」「加害者→被害者」の話ではないんです。
なんだか心が通わない感じがするんです。夫は穏やかに隣に座っているのに、心の交流が感じられない。
そう。カサンドラ症候群の本質は、私の問題でもある部分の話なのです。

私にとっては、「私の問題でもある」ということに気づくために
「カサンドラ症候群」という言葉が役に立ちました。
問題点をクリアにするために必要なのは
1.双方の関係性の問題だということを強く認識する
しつこいようですが、「誰が見ても夫が悪い」という問題は「カサンドラ症候群」とは言いません。
「周りに話して理解されないようなコミュニケーションエラー」についてのみ、この言葉を使います。
よって、一方が「被害者」で、もう一方が「加害者」という構図になるものは、該当しません。
カサンドラ症候群の問題においては片方だけが加害者にはなり得ないを強く認識する必要があります。
2.ASDについての正しい知識を普及させる
◆ASD特性は人それぞれ異なるということ
「ケガに気づかないほど感覚が鈍い」という人もいれば
「肌着の繊維が気になるので綿素材しか受け付けないほど敏感」という人もいます。
ある人が「ASDの夫が紙ストローを受け付けない」とつぶやいたときに、
「私はASDだけど紙ストロー大丈夫だよ?それ本当にASD?」という反論をするのは、無知の自己紹介です。
とあるASD者の悩みは、他の全ASD共通の悩みになるわけがない。
ここさえしっかり理解されていれば、変な誤解をされる恐れは減るのではないかと思います。
他者の投稿を「私は当てはまらない」と取り締まるよりも、「十人十色だ」を広める運動をしたほうが早いです。

我が家は夫も息子もASDの診断がついていますが、
二人の特性は本当に全く異なります
3.新しい言葉や概念の提唱
- ASD者が「共感能力がない」のではなく、共感の示し方が非ASD者と異なるだけであると理解する。
- ASD特性が悪いわけではなく、異なる価値観や認知の仕方であると受け止める。
このあたりの理解が進むと、妻側だけにカサンドラ症候群という呼び名がつくことに違和感を覚えるかもしれません。
夫婦間の問題であれば、夫婦の状態に名前を付けるのが適切なのかもしれません。
ただ、ここで思い出したいのは「心身に症状が出ている側」がいる、という点です。

我が家の場合、私がどれだけ不調を訴えても夫は穏やかに笑っていました。
夫婦間の情緒的コミュニケーションのエラーによって、
夫側の心身に影響が出ることはありませんでした。
そこを考えると、やはり「不調が出る側」を「カサンドラ症候群」と呼ぶのが自然です。
また、神話の王女の名前が由来となっていることから「プリンセス♡」のニュアンスを感じている人には、
プリンセス感のない新しい名前を提唱していただきましょう。
まとめ:
1.「私の問題でもある」という認識
カサンドラ症候群の本質は、パートナーの特性だけではなく、
自身の期待や認識のズレに原因がある場合も多いことを認識することです。
2.この言葉の本来の役割は
この言葉が役立つのは、非ASD者が体験する孤独感や苦痛を言語化し、自身を理解するきっかけを与える場合です。
一方で、概念の曖昧さが誤解を生む場合もあるため、慎重な使用が必要です。
3.不調が出る側を支援する必要性
不調が明確に現れている側をサポートすることが重要であり、
そのために「カサンドラ症候群」という言葉が有用なケースもあります。
ASD側に変化を求めるための言葉ではない、ということです。

孤独感や苦痛を共有しつつも、その背景にある相互理解を目指す姿勢が重要です。
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