カサ抜けレシピ②「ASDを理解する」とは

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発達障害って、なに?

発達障害とは・・・
脳の特性による得意と不得意の凸凹が大きいことにより
この社会で生きることに困り感が発生している状態のこと
です。

特性の種類は「ASD、ADHD、LD」の三種類に分類されますが、
3つを併せ持っている人もいるし、どれか2つを併せ持つ人もいます。

「カサンドラ症候群」はその中でも「ASD」を持つ人のパートナーに心身の不調が起こっている状態のことをいいます。
これは、決して「ASD当事者自体が悪い」ということではなく、
「お互いの関係性がうまくいかない」ことによって起こります

発達障害は「脳の特性による困り感」です。
服薬(※ADHDの場合)や対策・工夫で軽減することはできても、
特性自体を消すことはできません。

発達障害は、「治す」とか「治療する」という考えではなく、
「生きづらさを軽減していく」という考えで対策していくのです。

「足がないので足を生やす治療をする」のではなくて
「足がないので義足や車いすを使い、足のある人たちの生きる社会で一緒に生きるための工夫をする」というイメージです。


ASD(自閉スペクトラム症)とは

  • 相手の考えていることを読み取ることが苦手
  • 自分の考えを伝えることが苦手
  • 一方的に話してしまい会話がスムーズに噛み合わない
  • 慣習的なルールや暗黙の了解がわからない
  • 特定のことに強い興味や関心を持っている(昆虫博士、機械が得意等)
  • こだわり行動がある
  • 身体の使い方に苦手さがある(協調性運動障害)

同じ「ASDです」の診断結果が出たとしても、
特性の出方や困り感は人それぞれ違います。本当に全然違います。

ただ、カサンドラ症候群になる人の多くは
「コミュニケーション」の面で辛い思いをしていることが多いため、
カサンドラ症候群の人同士で話をしたときには
「わかる!うちも!おなじ!」と、共感を得られることが多いです。


それを「理解する」とは

「こういう人もいるのね」と理解する、ということです。
優劣ではない。善悪でもない。ただ、「そういう人がいる」ということ。

そして、「理解する」は、「我慢する」ではない。
「支援する」でも「補う」でもない。
まずは「その存在を認める」、ただそれだけ。

そういうのが苦手な人がいる。
あなたが当たり前にできるようなことが、できない人もいる。
でもそれは、その人が悪いということではなく、直すべき欠点でもない。

まずは、「そういう人がいる」という理解。

苦手なんだなぁ
今の、特性だよなぁ

こういう感じで相手を捉えてみてください。

他の障害と同じように、

生まれつき足がない人もいるんだなぁ
耳が聴こえない人もいるんだなぁ

こんな感じで。

「理解する」ということは、
「こういう人もいるんだなぁ」と相手の存在を認める ということです。

そして、相手をひとりの人間として尊重する。
※ここができない状態になるほど苦しんでいる方も多いと思います。

「日本語がわからないなら私の言ってる事なんてわからないでしょうね!」
ではなくて
「日本語以外で会話をする国もあるんですね」
というところに落ち着かせる、という作業です。

ここであなたが「日本語を覚えさせよう!」としないでください。
ずっと彼の母国語で話してきた人に対して、
日本語しかわからないあなたが彼に新たな言語を教えるのは至難の業です。

あなたはただ「そういう文化もあるんですね」と理解するだけ。

なぜ「障害」になるのか

それは当事者が劣っているからではない。脳の欠陥ではない。

「この社会が、ASD以外の人向けに作られているから」です。

当事者に障害があるのではなく、
当事者が「この社会で生きる」という部分に障害が発生する
のです。

私は大人になってから「ASDの文化」の理解に初めて触れましたが、
ASDの方はずーっと「非ASDの文化」を理解しながら生きてきている。

ここでカサンドラ状態のあなたと過去の私に強く言いたいのは、
「発達障害を理解してあげる、支援してあげる」という視点にならないほうが良いです。

何度でも言いますが、「発達障害は悪、欠陥、劣り、下、、ではない!」
上下関係はない。
あなた(非ASD)の文化をずっと理解して生きてきたパートナーと同じように、
今度はあなたがASD文化の存在を受け入れる番です。

あなたがASDに寄せるでもなく、ASD者に非ASD者を目指させるでもなく
「そういう人がいる」と認めて相手に変わることを強要しないのが「理解」です

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