カサンドラの私が望んでいた家庭像

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先日の幸せなひととき

このツイート、先日の夕飯の話です。

6年生の息子には行きたい中学校があり、受験勉強を頑張っています。
母親の私にできることって、美味しいご飯を作ったり、健康でいられる家庭環境を作ることぐらいで。
昨日は息子の大好きなハンバーグを作りました。

息子は「美味しい!」とたくさん食べてくれて、おかわりもしてくれました。
夕飯時の会話も弾み、息子や娘のその日の出来事を聞いたり、私のことを話したり、
食べこぼしは相変わらずすごいのですが(笑)、楽しい時間を過ごしました。

子ども達が笑顔で、幸せだなぁと思いました。

結婚する前に夫と話した「幸せとは」

夫と結婚する前に、夫と「幸せな家庭像」について話をしたことがあります。
私は「早くおうちに帰りたいなと思える家庭でありたい」と話をしました。
「私、実家の家族のためなら何でもしたいと思えるんだ。私もそういう家庭を作りたい。」と。
夫は「俺は全くそういう家庭ではなかったから、アロミちゃんと同じものを目指したいと思ってた。」と話していました。

夫が仕事で大変な時には夫のために美味しい食事を用意したり、手伝えることは手伝ったり、
学校や会社で嫌なことがあっても家に帰って家族に話せばすっきりできるような、
外でうれしいことがあったら家族に一番に報告したくなるような、、、

「幸せとは」が完全に一致した夫と、「そんな家族を作ろうね」と話して結婚したのでした。

実際に結婚してみたら・・・

私が「夫のため」と考えれば考えるほど、報われない。
嫌なことがあって家で話をしたら「相手にもこういう事情があったんだと思うよ」と言われる。毎回。
外でうれしいことがあって家で報告しても、聞いてくれない。(聞いてるふりはしてくれる。)

なんじゃこりゃーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!

思い描いていた「家庭像」には全く近づけない。
何故かというと、夫が結婚前に話していたことは「結婚するために私に合わせていただけ」だったからです。

結婚がゴールだったんですよね。

きっと「既婚者」というステータスがほしかった。
ひとり親家庭だった私たちのことを「養っている俺」ということに自分の存在意義を感じていた。

結局「俺」なんですよね。

息子もASDです

息子にもASDの診断がついていますが、息子とはそういう家庭が築けている。
時々噛み合わないし空気読めよな発言はありますが、笑い合えるし、信頼し合える。

私たちの家庭がうまくいかない根本的な要因は「夫のASD特性」だけではないと思っています。
私が「カサンドラ」的な辛さを味わっているのはもちろんその部分が要因なのですが、
それより困っている「夫婦関係の悪さ」の要因は、そこだけではないと思っています。

「ASDがある人とは幸せな家庭を築けない」とは思わないです。

「親子」と「夫婦」ではまた別なのかもしれないけれど、
ASDがあってもなくても息子は息子なわけで。

私はやはり結婚前から「こういう家庭が作りたい」と思っていた家庭像を諦められなくて。
で、今の家庭の形(別居)がいちばんそれに近いです。

「早くおうちに帰りたいな、早く家族に話したいな」と思える家庭。

私はこれからもそれを諦めたくないなと考えた日でした。

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