身の回りの発達障害の方の特性によって、悩んだり苦しんだりしている人がいるのは事実です。
私がこのブログを立ち上げたのは、そういう方々のお役に立ちたいと思ったから。
だって、同じ経験のある私は、その辛さや苦しさを知っているから。
でも、そういう方にも、「発達障害のせいで私は苦しい。発達障害って最悪!」ではないということは、知っておいていただきたい。
まずは、読んでみてください。
息子が自閉症スペクトラムだと診断された日
発達障害について、あなたはどのようなイメージをお持ちでしょうか?
私の人生においてこの言葉が身近になったのは、2016/2/15、息子が5歳の頃です。
保育園の先生から「指示が通りにくい」という指摘を受け、受診を勧められ、
医師の口から出た診断名は「自閉症スペクトラム(ASD)」というものでした。
え?自閉症?うちの子が?
こんなに明るい子なのに?
知識のない私はこのような印象を持ちました。
治るんですか?
いつ治るんですか?
夫は、治るのかどうかを何度も医師に尋ねていました。
なんなら、「成長はしますが、治るものではないです」という回答に対して
「どういうことですか!」と少し怒っていました。
今から8年前のこと。
私たちにとっては「発達障害」という言葉自体が未知の世界。
今よりメディアでの報道も少なかったと思います。
ただ、「明るくてかわいい息子がここに存在している」という事実には何も変わりないので、
私は母として、意外と前向きに受け止められたような気がします。
その後の私の行動。そして学んだこと。
実家の家族や親族に説明をしました。
息子が自閉症スペクトラムだと診断されたよ。
発語が遅かったりしたのもその影響だろうって。
得意と不得意の凸凹が大きいっていうことなんだって。
いろいろ難しい部分あるかもしれないけど、これからもよろしくね!
保育園の先生にも伝えたし、習い事の先生にも。友人にも話したし、結構みんなに堂々と伝えました。
ネガティブな印象は持っていなかった。だって、息子はいつも通りかわいくて、ニコニコしている。
そして、その世界を知りたいと思いました。息子が見ている世界はどんなものなのだろう?
この子は将来どういうことで困るんだろう?この子のために今私ができることって何なんだろう?
「発達障害コミュニケーション初級指導者認定」という資格を取りました。
いろんな書籍を読み、いろんな講座を受けました。
学んでいくうちに、知ったことがたくさんあります。
自閉症スペクトラムの子は「とても素直で純粋」な子が多い。
困り感は多種多様で、難しい部分もあるけれど、
得意の部分も同じように多種多様で、知れば知るほど興味深くて魅力的。
私にはできないような能力をたくさん持っている。そして、息子は笑顔でかわいい。
夫について
学んでいくうちに、夫にもこの特性があることを疑い始めました。
ここでは詳細は省略しますが、夫にも受診してもらって「ASD(自閉症スペクトラム)とADHD(注意欠如・多動性障害)」の診断がついています。
やっぱりね!
じゃあ1個1個の困り感について対処法を考えていこう。
参考になる書籍もいっぱいあるよ。
家族にとって暮らしやすい形を探していこう!
俺がおかしいと言うのか!
俺を障害者扱いしやがって!
どうせお前が診断名をつけるように医者に頼み込んだんだろう!
・・・うーん。このあたりの夫とのやり取りもここでは省略しますが、
私の考えとしては変わらず、「発達障害」についてネガティブな印象は持っていませんでした。
(ちなみに私は、この夫の発言については「発達障害の特性によるもの」だとは思っていません。)
発達障害とは
厚生労働省【発達障害とは】
「発達障害とは」で検索すると、このようなページが出てきます。
発達支援で有名なLITALICO社は「障害とは」をこのように説明しています。
「障害は人でなく、社会の側にある」
私はこの言葉が大好きです。
発達障害がある当事者の方に「害がある」とか「悪い部分がある」とか、
そういう意味の言葉ではないのです。
そして、当事者の方が改善すべき課題、という意味合いでもないのです。
「この社会で暮らすことに障害があるよ」というだけのこと。
目の悪い人がメガネを使うように、困り感に対応した道具を使うことで暮らしやすくしたら良い。
耳の聞こえない人が手話を使ってもらうように、困り感に対応した手段を使ってもらえば良い。
目の見えない人が自分の努力だけで一生懸命文字を読もうとしても読めません。
発達障害の人が自分の努力だけで一生懸命取り組んでも、できない場合があります。
発達障害の方の周りで悩んでいる方へ
視力0.3で困っている人もいれば、視力0.01で困っている人もいます。
それぞれ、度数にあったメガネを使います。
視力が0.3だとしても、困っていなければメガネは使わずに生活します。
(※視力の場合は、矯正視力で一定の視力が出れば「障害者」にはなりません。)
障害にもいろんな種類がありますが、特に発達障害については本人の生活環境や本人の感じ方によって、困り感の度合いも異なります。
どの障害についても、その障害部分への対応がうまく合致すれば困り感の軽減は可能だと思います。
ただ、それを「当事者の努力だけで」と望んでいるのであれば難しいと思います。
発達障害については「本人の生活環境や本人の感じ方」に左右される部分もあり、
また困り度が数値として測れないことや、外見からはわからない障害であるため、
「努力次第で」を望まれるケースがあるように思います。
視力の悪い私が「なんでこの文字が見えないんだよ!」と言われても「視力が0.01だから」です。見えないのです。
脳に特性のある人が「なんでこれくらいのことができないんだよ!」と言われても、「脳に特性があるから」です。できないのです。
かといって手取り足取り介護のように何もかもサポートしてあげないと!という話ではありません。
まずは、「できないことがある」を認めることで、少し楽になると思うのです。
発達障害は「悪」ではない
「発達障害=悪」ではない。
結局言いたかったのはこれです。発達障害について学んだ人ほど、この認識だと思います。
「得意と不得意の凸凹が大きいのよ」と最初に息子の主治医に言われた時に、
私は息子に「得意は手伝ってね。不得意は手伝うね。」と話をしました。
実際、12歳になった息子に助けられている部分、たくさんあります。
そして、夫の「得意な部分」に助けられている部分もたくさんありました。
他の障害と同じように、道具を使ったり周りの人のサポートを得たりしてうまく暮らす工夫はできると思っているし、むしろ得意部分を生かせる場面もたくさんあると思います。
どうか、まずは「”悪”ではない」を理解してもらえるとうれしいです。
息子の診断から8年たった今でも「発達障害」について悩むことはあります。
ただ、「発達障害があるから無理!離婚しよう!」というのは違うと思う。
私でお話が聞けそうなことであれば、ご相談に乗らせていただきます。
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